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 はじめましての人ははじめましてのじゃっこと申します。
 また一年近く更新が空いてしまいました。大学二年になりましたが、未だVOCALOIDにがっつりはまっている身です。今日はピノキオPの最新ミク曲「ひとりぼっちのユーエフオー」の歌詞解釈をしたいと思います。



 なぜいきなり解釈……?というのを最初にご説明します。前提として、歌詞解釈なんてものは人それぞれなのは当たり前ですよね。それでも私が以下の解釈を載せるのは、私が以下の解釈で心を揺さぶられて、その感動を周りの人と共有したいと思ったからです。なので、お暇な方は是非お読みになって、某の反応を残して下さればめちゃくちゃ喜びます。よろしくお願いします。
 では解釈を始めます。



 まず先に結論から言うと、この曲は「それまで大好きだったものに対する熱意を突然失ってしまい、動揺と闘ううた」だと思います。「もの」じゃなく「人」に限定して、「それまで大好きだった恋人との関係が急に終わってしまい、喪失感に戸惑ううた」でもいいんですが、「もの」にまで敷衍した方が個人的には共感度がぐっと上がります(具体的なエピソードは後述します。)
 次に詳しい分析に入っていきます。

花は枯れた どこか優しい色をしてる
でも 誰も知らないんだ みんな知らないんだ


 「花=それまで大好きで輝いて見えていたもの」が色あせてしまった。思い出の面影はあるので優しげな色をしている。
 個人の心境の変化なので勿論誰も知るはずが無い。

顔を描いた 会えなくなった君の顔を
少し悪い歯並びも ぼんやり覚えてるんだ


 慌てて「好きだったもの」の委細を思い出そうとする。どんなところでも好きだったのだから少し欠点に見えるところも愛おしい、と思っていたことは思い出せるが、肝心の熱意が戻ってこない。

ああ  UFO が見えるから
誰かに知らせなきゃ


 「UFO=正体不明のもの=(ここでは)自分の不可解な心境の変化」。思わず助けを求める。

ねえ 幾千回 感動した思い出も
ひとりぼっちの妄想だった気がして


 そのまま。冷めてしまった時点から見れば昔の熱意はあったかどうかも怪しく、「妄想」だったんじゃないのか、と不安になる。

また 好きなものを見つけたら
頭は治るかな


 次にまた何かを好きになれば、それへの熱意は「妄想」ではなくなるから、まともな精神状態に戻れるのではないか、という願望。でもそれは前の「妄想」を抑圧しているだけなので、根本的な解決にはなっていませんね。

星が落ちた 脳に直接 語りかける
あいつの声を信じた 酷く冷めた目つきで


 「好きだったもの」への熱意が冷めた瞬間の描写。熱意が冷める契機となった外部からの働きかけの描写。
 「好きだったもの」への信奉を挫く外部からの働きかけを受け入れてしまった。その働きかけがなければ元の熱意を保てていたので、契機となった奴への八つ当たりのような気持ちもある(なので「あいつ」呼ばわり。)

ああ 不幸は癖になるから
はやく ころさなくちゃ


 不幸は嵌りすぎると悲劇のヒロイン的な自分に酔ってしまうから、早く不幸から脱出したい、ということ。

ねえ 幾千年 越えてきた遺伝子も
辿り着いたのは狭い病室で


 自分は何千年も受け継がれてきた人の営みの果てであるという点では奇跡であるはずだけど、現実には「狭い病室=自分の閉じた精神状態」から動けずにいるちっぽけな存在だよ、という対比。

汚れたパジャマを着替えたら
家に帰れるかな


 表面的な気分転換でもしたら精神状態が戻るんだろうか(、いや戻れないよね。)
 ピノキオPは「家=安心できる心のよりどころ」と「病室=病んだ自分の精神状態」を空間的に分断されたものとして捉えているんですね。

君がいないから 描いてます 絵を描いてます
理解されたいことの すべてが偽物で困ります

ああ

たくさん悩んで伝えても
病室のカーテンが揺れるだけ


 先に下の段落を見ると、「UFO」に何かを伝えようとしていたことがわかります。
 よって上の段落は、「好きだったもの」がいかに魅力的だったかを「UFO=突然心変わりしてしまった自分の心」にもう一度説得しようとした(そのために絵で表現した)が、「理解されたい」と思っている「好きだったものの魅力」が自分にとっては結局過去のものであるため、すべて「偽物」で、困惑する。
 ここで「好きだったもの」への気持ちが偽になってしまったことがはじめて断言されます。主人公にとってもここが諦めがついた瞬間になり、この曲で一番カタルシスが発生している箇所です。それをオーラスサビ最後に持ってくるのは流石ですね。

もし君のことを忘れたら
UFO は消えるかな


 「好きだったもの」自体を忘れてしまえば、それへの熱意を失った自分の心も消えて、困惑することもなくなるのかな、という逃避。先述の諦めの衝撃が大きすぎて一瞬受け止めきれずにいるようです。

幾千回 感動した思い出は
妄想でも忘れられないからね


 しかし、「好きだったもの」への思いを「妄想でも」と偽になってしまったことを受容した上で、「忘れられないからね」と肯定できるようになります。

また 好きなものを見つけたら
あの頃の ぼくに 戻れるかな


 「あの頃=好きなものに熱中して幸せだった頃。」
 昔の思い出を肯定しつつ、新たな生き甲斐を求めて再び前向きになれたところで、このうたは終わります。




 なぜ私がこの解釈に胸を揺さぶられたかというと、自分自身が最近全く同じような体験をしたからです。
 私がGARNET CROWというバンドの信者だったのは私の知り合いならご存知かと思いますが、正確に言うと信者だったのは受験期が終わるまででした。受験後、自由時間を得てボカロに浮気していたところに、ある人からの些細な一言が杭のように刺さり、以降私は純粋に信者でいることができなくなってしまったのです。
 そのとき私は「信者でいられなくなってしまった自分」に物凄い動揺しました。中高6年間と浪人1年間アイデンティティの一部になっていた要素でしたから、当然と言えば当然ですが。動揺のあまりますますガネと向かい合えなくなり、去年1年間は完全にボカロに没頭していました。でも解散前にはやっと自分の気持ちを整理できるようになりました。間に合ってよかった。
 みなさんにもこんな経験、ありませんか?

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